いつも笑顔だった祖父母に挨拶するためにお墓参りに行ってきました
父方も母方も神戸の実家からバスなどを乗り継いで行くところにお墓があるので、私にとって大切なことがうまくいきますように…と一方的に去年末にお願いしたので、一段落した最近、お礼も兼ねてご挨拶するためにお墓参りに行ってきました。写真のステンドガラスは父方のお墓があるところに飾られているものです。
自分の生活や「生きている人が大事」と考えていたこともあって、亡くなった祖父母のことは定期的に思い出したり回想することはあったのですが、お墓参りはほとんど行っていませんでした。
ただ割と最近父方の方の納骨をした報告を受けてその様子を見た時に、何故かとか具体的に説明できるようなものではないのですが、「あ、行かないと」と急に思ったんですよね。
私にとって両親がとても大切な尊敬する存在するであるのと同じように両親にとってのお父さんとお母さんで、2人にとってはやはり特別な存在だよね…などと今更そんな当たり前なことを考えたりしました。
私は別に霊感もないし、特定の何かを信仰しているとかはなく至極現実的なのですが、ちょっとスピリチュアルっぽい話、たまに祖父母って夢に出てくるんですよね。特に母方の祖母が割と大事なタイミングとか、やっていた方がいいことがある時にそれに気づいたり後押しするように、割と頻繁に出てきてくれるので、おかげで私はさほど困ることなく日々暮らせていると思っています。
そうやって定期的に助けてくれたり、見守られていることを感じさせられるようなことがあるのに、私は全然顔を見せていないなと、別にお墓に行かないと会えないとかやはりすごく重要なこととは一般論的な視点としては思っていないものの、本当に自分でも不思議ですが急に行こうと最近思いました。
笑顔の記憶しかない4人の祖父母

厳しいタイプのおじいちゃん、おばあちゃんも世の中にはいるとは思うのですが、私の記憶にある祖父母は4人ともいつも笑顔です。
孫に特別甘いというと極端かもですが、何かを咎められたり近くにいて無関心にされたような記憶は本当になくて、何だか無条件に微笑みながら相手をしてくれるような人たちだったと思います。
父方の方が静かに微笑んでいて、たまに説教とかではなく、語るというか諭すようなお話をされていたような気がします。父方の方の実家は徳島で会う回数が多くはなかったこともあるかもですが、いい意味で遠慮と礼儀がある優しい空間だったと思います(私目線ですが)。
父方の祖父母に会いにいく時、楽しみにしていたのがお正月の時期にお餅つきマシーン(?)みたいなのでお餅を餅米から作って食べられることでした。
小さい時はあんこがあまり好きじゃなかったので、今は好きな分惜しいことをしたなと思いますが、小さい私は砂糖醤油で出来立ての柔らかめのお餅を食べるのが好きだったことを覚えています。
母方の方が会う頻度が多かったり、叔父や従兄弟など他の親戚もいることもあったからか、賑やかだった印象です。特に祖父は割と大きな声でよく笑ったり喋ったりする人だったのでその印象が強いです。
祖母が作ってくれるいかなごの佃煮がお気に入りでした。今でもたまに母が作るので、お裾分けを期待しています。あと炊き込みご飯が出てきたらテンション上がっていた気がします。
食卓に並ぶ食事がボリューム多いイメージで、好きな果物や野菜をたくさん用意してくれていた記憶があります。いろんな美味しいものを食べさせてもらっていたと思います。なんて贅沢な。
そうして愛情も笑顔も美味しいものもたくさん与えてもらって、もっと生きている時にそのありがたさを実感できていればもっとお返しできたことがあっただろうとどうしようもない後悔をしつつ、それを今実感するので、今後も生きている限り自分をちゃんと楽しもうと思います。